「グアダルーペの聖母(マリア)2」 December 2005


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 12月12日はグアダルーペの聖母の大祭が盛大に開催され、ラテンアメリカ全土から多くの巡礼者が訪れます。 今回は、スペインからもたらされたキリスト教とメキシコの土着の宗教の融合の結果として信仰されている「グアダルーペの聖母」に焦点を当ててみました。
グアダルーペ 「グアダルーペの由来」

 メキシコのグアダルーペの聖母(マリア)は光り輝く褐色の肌をしたマリアとして最も有名です。この褐色の肌をしたマリアというのは、元をたどれば、ローマ帝国において絶大な信仰を集めていた、エジプトの大地母神イシスを、キリスト教が取り込んだものだと言われています。 キリスト教の布教の手段として、地元にもともとあった宗教とカトリックとの融合をはかっていくという例は他にもあるそうです。

 そもそも、グアダルーペとは、スペインのエストゥリマドーラ地方の街の名で、そこの教会に褐色のマリア像があり、カトリック両王(イサベラとフフルナンド)が、グラナダ攻略の途中で礼拝したところ、グラナダを攻略できたため、
褐色のマリア=聖母グアダルーペとして有名になったのだそうです。
「宗教の融合」  

 メキシコのグアダルーペ寺院は、郊外のテペヤックの丘に建っています。このテペヤックの丘は、アステカ時代における大地母神、「トナンツィン」の神殿が建てられていた所でした。 「トナンツィン」は「神々の母」とも呼ばれていますが、この「トナンツィン」も、複雑な経緯から複合神となったのではないかということです。

 「トナンツィンは」、もともとはアステカ族の母体となったナワ族の大地母神「シワコアトル」ではないかと言われています。 「シワコアトル」は母性と大地に関連した多くの女神の一人ですが、女=へびを意味するのだそうです。 「シワコアトル」は産婆の女神の一人であり、その関連で蒸し風呂の女神でもあったそうです。しばしば好戦的な面をもち、槍と楯を手にしてることもあります。 出産の際、産婆は妊婦に、「シワコアトル」の名前を唱えながら子どもを子宮から外へ出すという、暴力的な戦いの戦士になるようにと励ますのだそうです。 「シワコアトル」という名は、アステカの首都テノチティトランの副支配者の称号でもありました。その称号には、アステカの世界観をつらぬく「男対女、内対外」という二面性が体現されています。

 テペヤックの丘に聖母を祭った教会を建立してからも、メキシコの先住民の間では、この聖母を「トナンツィン」と呼んでいました。先住民の人々は自分たちの女神とカトリックの聖母をオーバーラップさせたのでした。 スペイン人の神父たちもこのことを知りつつ、グアダルーペのイメージを積極的に宣伝し布教活動に役立てていきました。そして、今日では国家的なシンボルとしてメキシコ人に愛されているのです。
 12月12日の大祭の折にも、寺院の中ではミサが厳かにとりおこなわれていますが、同時に境内ではたくさんのグループがアステカ時代の衣装を身にまとい、アステカ時代の舞踏を舞います。中には呪術師の姿まで見かけられるのだそうです。 まさに、宗教の融合を思わせる不思議なセレモニーです。

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引用文献 「マヤ・アステカ神話宗教辞典」 東洋書林


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