旅行記 グァテマラ編

  今回は織物の国グァテマラへの買い付けの旅です。
アティトラン湖 March 2001 撮影

「グァテマラ到着」

 メキシコシティーから飛行機で1時間50分くらいで、グァテマラシティに到着します。 メキシコシティを出発するのはいつも夜ですから、到着も当然夜中になりますが、この飛行機はよく出発が遅れたり、フライトが中止になって変わりの便に乗り換ということもあります。
今回も、20時45分出発の飛行機がフライト中止になり、どうなるのだろうと思っていますと大分経ってから、アナウンスがありました。 スペイン語のヒヤリングに難があるため、アナウンスの内容がわかりにくかったのですが、ちょうど、そばにいた男性が英語で22時55分出発の便に振り返られることになったことを教えてくれました。 この男性は、ロスアンジェルスで働いている方ですが、お家がグァテマラにあるので休暇を利用して帰る途中とのことでした。

 こういう場合は、飛行機会社が夕食を手配してくれます。指定された空港内のカフェで食事を済ませ、出発までロビーで時間待ちです。 1時間以上ありますので、ロビーの椅子で寝ている人がたくさんいました。 何とか予定通り飛行機も出発し、グァテマラシティに着いたのが0時45分くらいだったでしょうか。
 グァテマラシティの空港には、アテンダーのMr.Kの迎えに来てもらうことが多いのですが、こういう場合、とっさに連絡のつけようもなく、空港を出るとすぐ彼を探しましたが案の定見つかりません。 多分帰ってしまったのだろうとあきらめて、タクシーでホテルまで向かうことにしました。メキシコとは通貨単位が異なるますから空港でチェンジをするのですが、こんな時間ではどうしようもありません。 幸い、前回で多少残っていましたのでホテルまでくらいは何とかなりそうです。  ホテルへついたのが1時を回っていました。 チェックインを済ませ部屋につくとすぐ寝ることにしました。次の日は朝早くから買い付けへ出発です。  写真 アティトラン湖 March 2001 撮影


ボンネットバス March 2001 撮影 「道中」

 今日はチチカステナンゴからパナハッチョルへと回る予定です。 メキシコでもそうですが、買い付けはそれぞれの土地で市が開かれる日にあわせます。 チチカステナンゴでは毎週木曜と日曜が市の開かれる日ですが、今日は木曜日なので近隣からもたくさんの人が集まっているはずです。
チチカステナンゴまでは長距離バスなども出ていますが、まだまだ山賊という言葉も残っているくらいですので、ホテルの受付で尋ねてもバスで行くことには積極的にすすめてはくれません。 Mr.Kと9時にホテルのロビーで待ち合わせをしていましたが、昨日会えなかったため、少し心配でした。 が、予定通り車で来てくれました。
車でチチカステナンゴまで3時間あまり、道路から見える風景は殺伐とした荒野そのものといった感じです。メキシコも不毛の大地を感じましたが、ここグァテマらはそれ以上のように思います。
道路も山を上ったり下ったりですが、出会う車も少なく、時々ボンネットバス(上に荷物を一杯積んで)が停留所で止まっているのを見つけたりするくらいです。 所々でやはり市らしきものが開かれているのが見えます。
グァテマラは織物の国ともいわれていますが、本当に殺伐とした風景の中に突然、色とりどりの衣装に身を包んだ人が集まっている市が姿をあらわすのです。 ゆっくりと、あちらこちらの市をのぞければいいのでしょうがスケジュールが込んでいるのでそうもいきません。ひたすら、目的地目指して走ります。  右写真 ボンネットバス March 2001 撮影

人々 March 2001 撮影 「チチカステナンゴ」

チチカステナンゴのチチカスというのは「紫のイラクサ」テナンゴは「〜の地」つまり、「紫のいらくさの地」という意味です。 グァテマラシティからは北西144km、標高は2000m以上の高地にあるインディヘナの町です。 グァテマラ最大の言語集団「キチェー族」の中心地でもあります。木・日曜日ごとに市が立ち、インディオの市ではラテンアメリカ最大規模を誇っていましたが、 最近は随分観光化も進み、昔日の面影は薄くなっています。色鮮やかな民族衣装に身を包んだ女性たちに目を奪われてしまいます。 市場の風景を見下ろすように建つ白い教会は「サントトマス教会」です。 マヤの歴史伝承の、聖なる書「ポポル・ブフ」が発見された場所でもあります。

チチカステナンゴに着いたのはお昼近くでした。車を降りると舗装のしていない砂利道で道行く人に目を移すと本当に色鮮やかな衣装というか布地を身につけていました。 デザインはとてもシンプルでスカートなども一枚の布を巻きつけた上から、コットンベルトでしっかり結んでいるといった風です。が、生地の織がとても手が込んでいますし、色合いも本当にカラフルです。 時代をタイムスリップした感覚におそわれます。とても静かな時間が流れている雰囲気です。 ここはまだ、市からは少し離れていますのでそれほど人通りは多くありません。
まず、いつも取り引きをしているメーカーのお宅を訪ねました。 中庭を囲んで建物が建っているとても広い豪邸で、孔雀も放し飼いにされていますが、住まいのほかに倉庫がありそこで商品を選びます。 色々の商品が山積みされている中から、色柄を選んでゆくのです。 商品を選び終えた後、市の近くにもお店を持っていますので、そちらへも回ることにしました。が、大分時間もたっていましたので昼食を先にとることにしました。  写真 人々 March 2001 撮影

マヤ・イン March 2001 撮影 「休憩」

 Mr.Kのお奨めで、グァテマラ料理の食べられるマヤ・インというホテルへ連れて行ってもらいました。
中世のコロニアルを思わせる建物で、ヨーロッパ系の観光客の人たちが多いように思いました。中世のヨーロッパにタイムスリップしたようにここでも時間はゆっくり流れているように感じます。 メキシコやグァテマラなどは昼食にゆっくり時間をかけるのですが、 それにしても入った時間が大分遅かったので、レストランには1組のお客様しか残っていませんでした。 ウエイターの男性たちは写真の通り、民族衣装をまとってサービスしてくれました。
メニューを見てもどんな料理かわからないので、コース料理にしました。グァテマラ料理というのは一つのお皿に色々な種類の料理が乗っているのです。 アボガドのサラダ、小さなステーキ、鳥の唐揚げのようなもの、などなど少しづつですがかなりのボリュームです。トルティージャもついていましたが、味のほうもなかなかでほとんど平らげていました。 観光客の食べやすいように味付けをアレンジしているのかもしれません。  写真 マヤ・イン March 2001 撮影

サントトマス教会 March 2001 撮影 「買い付け」

一息入れたので、また張り切って商品の仕入れです。 さっき訪れたメーカーのお店のほうへと向かいました。市の中を通り抜けていくのですが、女性たちは民族衣装を身にまとっているので本当にカラフルで色鮮やかです。 日本の夜店を思い浮かべてしまいましたが、生鮮食料品、トウモロコシ、豆、日用雑貨、焼き物、織物などなど、ありとあらゆるものが所狭しと並べられています。 頼まれていた、染糸の束を捜して手に入れました。
店に行く前に、現地通貨が残り少なくなってきたので銀行へ両替をしに行きました。ここグァテマラでは日本円はまったく通じません。トラベラーチェックも拒否されることも多く、ドルか現地通貨でしか支払いはできません。 相場のなるべく良いところで両替はしたいのですが、両替ができる場所は限られていますので仕方ありません。とにかく近くの銀行で済ませました。
お店につくと、予定していた商品の在庫状況を尋ね、足りないものはすべてオーダーになります。色や柄や数量の指定も一応はしっかり伝えますが入荷してからのお楽しみという場合がほとんどです。 あとは、以前とは違った新商品がないか探し、在庫があれば押えておきますし、足りなければやはりオーダーです。抑えたものの代金を支払い終え、残りのオーダー品の出来上がりの大体の予定日を確認し買い付けは一応終了となります。
車まで戻るのに、また市の中を歩きますが、ちょうど市の中央辺に「サントトマス教会」が建っています。石段を登って教会の中に入るようになっていますが、 何人もの現地の人々が、しゃがみこんだり、何かを祈っているような姿勢をしています。スペインに征服されたあと、カトリックに改宗させられたのですが、 やはり、古代からの信仰は根強く、儀式を行う場所こそ教会に変わりましたが、行われている儀式そのものはマヤ・キチェー族の土着宗教儀式なのだそうです。 アメリカ原住民は私たち東洋系民族と祖先を同じくしているという説を聞きますが、宗教に対する柔軟な対応などを考えてもとても親しみを感じるのです。
また、この教会から、マヤの歴史伝承の、聖なる書「ポポル・ブフ」が発見されましたが、この「ポポル・ブフ」は日本での「古事記」にあたる天地創造神話が記されています。  写真 サントトマス教会 March 2001 撮影

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