旅行記 中国(義烏)編 その1

 中国の発展は目覚しく、世界中の商品が生産されているといっても過言ではないくらいですが、その中でも巨大マーケットとして注目されている「義烏(イーウー)」を訪れました。
高速道路からの風景 April 2006 撮影

「義烏(イーウー)へ」

 久しぶりの中国の旅ですが、今回は午前中の出発となりました。GWの少し前ですが、早めに海外に出発する人も多いようですので、空港は混雑してるだろうかと思いながら、こちらも早めに出発しました。 道路は途中少し渋滞したものの、予定通りに関空に到着しました。予想通り、中はいつもとは違い人でごった返したいる様子です。 今日はANAですので、案内板等見ずにカウンターへ向かいますと、すごい行列です。ここで、空港スタッフにチケットを見せますと、同じANAでも反対側のカウンターだということですので、 改めて案内板を見に行きました。飛行機を確かめてみますと、やはり先ほどとは反対側のカウンターですが、ここでは先ほどほどは行列も出来ていないようで、それほど待たずにチェックインを済ませることが出来ました。
 手荷物検査所に目をやりますと、かなり混んでいるようでしたが、少し両替をしておこうと銀行の方へと向かいました。が、時間が9:00前のせいかいつもの銀行はまだ閉まっています。向かい側の銀行は開いていましたが、長い行列が出来ていましたので、 両替はあきらめて、NTTのカウンターで、中国での携帯のつながり具合などを確かめておくことにしました。カウンターでたずねてみますと、義烏の様子の様子はよくわからず、上海は携帯はつながりにくい上、@モードもとてもつながりにくいということでした。 どうやら、実際に行ってみないことにはよくわからないような雰囲気でした。とにかく、どこも混んでいる様子なのですぐに手荷物検査所へ向かい、出国手続きも引き続き済ませることにしました。
 搭乗までまだ時間はありますので、いつものようにラウンジで待つことにしました。ラウンジの中はそう混んでおらず、ゆっくりと過ごし、予定通りに搭乗も始まりましたので飛行機に乗りました。飛行機はいつもより小型で、 座席は少し後ろの方でしたが、それほど混んでもいないようでした。離陸までは予定通り・・のはずだったのですが、前の飛行機が遅れたらしく滑走路手前で30分くらい待たされて離陸しました。そのまま到着も30分遅れとなったわけです。 今日は2時間半くらいの短い飛行時間です。水平飛行に入るや、すぐに朝食が始まり、ビデオもニュースだけという少し寂しいプログラムであっという間に、杭州蕭山国際空港に到着しました。
 飛行機が小型だったせいか、ほかの飛行機と重ならなかったのか、入国手続きもスムーズに終わり、手荷物受取所に行くとターンテーブルの上をスーツケースが乗っているのが見えましたので、あわてて取りにいきました。 そのまま出口へ進むと、前で今回のガイドをしてくださる予定の男性が名前を書いたカードを持って待っていてくれました。挨拶だけ交わし、すぐにその丁さんという男性の車まで案内されて乗り込みました。 携帯の調子も気になったので、電源を入れてみましたが大丈夫でした。

 空港を出てからすぐに高速道路に乗り、それから一路「義烏(イーウー)」へ向かいます。高速道路は片側3車線の上、一つの車線の幅もゆったりしています。それほど混んでいませんので、ものすごいスピードで進んでいきます。 何だか少し、タイの高速道路にも似ているように思いました。 回りの風景を見てみますと、面白い屋根をした家並みが続きます。尖がった屋根の上にアンテナが立っていたり、またどの家も敷地面積はそれほど広くありませんが、どの家も3階建、4階建てで、さらにその上に見晴台のように一部屋だけ建てていたりしていました。 家並みが途切れると、山並みが続きます。興味深いことにどの山にもお墓が建てられていて、それも門構えも立派なお墓だったりしています。自分の家のすぐそばにお墓を立てるような習慣でもあるのでしょうか。
 2時間くらい走ったでしょうか、そうこうしているうちに、「義烏」という標識が大きく現れて、高速道路の出口へと進み始めました。そのあたりは回りには何もないように見えましたが、高速道路を降りて少し走っていくと突然街並みが広がってきました。 かなり大きな街です。たくさんの企業が集まっているように見えました。ホテルもたくさんあるようです。そのまままっすぐ宿泊先のホテルまで案内してくれました。

 左写真 高速道路からの風景 April 2006 撮影

写真 杭州蕭山国際空港 April 2006 撮影    写真 高速道路の料金所 April 2006 撮影   
写真 杭州の風景 April 2006 撮影

夕食の様子 April 2006 撮影

「最初の宴」

 ホテルに着きますと、丁さんと同じ事務所の王さんと張さんが出迎えてくれました。丁さんと張さんは中国語しか話しませんが、王さんは日本語が話せますので、通訳をしてくれました。 ホテルのチェックインを先に済ませましたが、ホテルスタッフでも英語を話せる人は少ないようで、王さんが色々と交渉してくれました。 到着したのは16:00くらいだったのですが、その日はゆっくりした方がいいということになり、ホテルで少し休んだ後、夕食に迎えに来てくれることになりました。
 ホテルの部屋は、日本のホテルとなんら変わりなく、ビジネスの街ということもあってか、各部屋にはパソコンまで常備されていました。もちろん中国語のパソコンです。 ネットもつなぎ放題で無料ということもわかりましたので、持ってきたパソコンとつないでみますと大丈夫のようでした。日本との連絡もこれで大丈夫のようです。が、安定性には乏しいらしく、 メールの受信はだいたい出来るものの、送信がうまくいかないことが多いようでした。携帯の方は、電話もメールもどうやら大丈夫のようで安心しました。
 パソコンの調整をしている間に、待ち合わせの時間の近づいてきましたので、用意をしてロビーへ降りていき、空港で出来なかった両替をしてもらおうとフロントへ行きました。 少しまとまった金額を両替してもらおうと、スタッフに頼んでみますと、1日¥20,000までしか駄目だということでした。なぜなのか全然わかりませんでしたが、とにかくそれだけしか出来ないと言い張るので、 仕方なくその金額だけを両替してもらいました。レートは空港よりはずっとよかったのですが、一日¥20,000は困りものです。
 そうこうしていると、王さんたち3人が迎えに来てくれて、夕食へ連れて行ってくれることになりました。 車を少し走らせたところで、レストランの前に到着しました。ここは、明日から回ることになっている広大な「福田市場」のすぐ近くだそうですが、中へ入って驚きました、 色々な料理のサンプルがテーブルの上にところ狭しと並べられており、その中から好きな料理を選びスタッフにオーダーすることになっていました。 その上、奥を見てみますと、水槽がたくさん並べられており、すべて色々な魚が泳いでいます。ここでも、好きな魚を選び料理方法までオーダーする仕組みになっていました。 見ただけでは、どんな料理かよくわかりませんでしたので、王さんと相談しながらオーダーを決めました。かなりの数の料理を頼んだようでした。
 それから3階へ案内されましたが、驚いたことにたくさんあるお部屋すべて個室になっていました。そのうえ、ほとんどの部屋がお客様で占められていました。 予約を入れておかなければ満室で断られるところだったようです。予約していた部屋に案内されて、ビールでの乾杯が始まりましたが、コップにはあふれるほど注ぐのではなく、半分くらいずつ入れていくのでした。 最初よくはわからなかったのですが、「カンペイ(乾杯)」といってコップを合わせるとお互い一気に飲み干すのがマナーなのだそうです。そして、食事の間中、際限なく何回も何回も「カンペイ」をするのでした。 どうしても、飲めないときにはコップではなく握っている手を合わせればいいとあとで教えてもらったのでしたが、とにかく「飲んでください。」といった調子が続きました。 しばらくすると、食事も次々と運ばれてきました。丸いテーブルの上に並びきれないくらいに並べられていきます。見ただけでもおなかがいっぱいになりそうでしたが、どれも、しつこい味付けではなく、素材をいかしたあっさりとした味付けでした。 「地衣」は岩海苔みたいな食べ物でした。アヒルのした(骨でたべにくいのですが味はよかったです)、からかった鶏の足、葱油石班魚(魚の蒸し料理)などでした。 回りの部屋からもとてもにぎやかな声が聞こえていました。


 右写真 夕食の様子 April 2006 撮影

写真 ホテル April 2006 撮影    写真 義烏の風景 April 2006 撮影   
写真 義烏の風景 April 2006 撮影

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