旅行記 メキシコ編 その4

 今回の旅は、帰国途中でアメリカで事件が起こり、メキシコへ引き返し、その後9日間引き続きメキシコでの生活を余儀なくされましたが、 ともかく無事に帰国してご報告することが出来て幸いです。
 事件に関係して亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
ホテルセゴビア September 2001 撮影

「混乱」

 メキシコシティーに着くと、空港で荷物を引き取ってUAのカウンターへ行くようにいわれました。 バッゲージクレームのところで、親切なご婦人が一生懸命説明をしてくれました。 やはりアメリカで大変なことがおきたらしいことがわかりましたが、 TVなどもまだ見ていなかったので、事の重大さはよくわかりませんでした。

 とにかく次の予約を取ろうと交渉したところ、14日の分を何とか確保し日本に連絡を入れました。 そこでアメリカの事件のことが少し詳しくわかりましたが、 サンフランシスコ空港がいつオープンできるかがかなり疑わしくなり、いつ日本に帰れるか不安になりました。 それにしても、同じ時刻に飛んでいたやはり同じUA(ユナイッテッド航空)の飛行機が・・・と思うと こうやって無事だったことが何よりだと思いました。遭遇された方々のご冥福を願わずにはいられませんでした。
 それからの3日間は、落ち着かない日々でした。 ホテルのTVなどで情報は入りますが、スペイン語のヒアリングに不安のある身ですので、 もっぱらインターネットカフェでニュースを見て情報を得ていました。 日本との連絡も一緒にとれます。

 日がたつにつれ、事の重大さがわかってきますし、シッパーのMR. GONZALEZなども、「大変なことになりましたね」と心配しています。 何度もUAのオフィスに連絡を入れて確認を取ってみますが、なかなか運行再開の見通しがたちません。 日本のことも気になるし、気持ちばかりあせるのですがどうしようもありません。
 13日になってもまだ運行再開の見込みはたたないので、次の予約を取ってみますが、なんと20日まで満席だとか。 仕方ありません。20日の予約を入れました。 何とか14日の再開を祈りましたが、結局14日もサンフランシスコ空港はオープンにならず、 20日までメキシコに滞在しなければならなくなりました。

 ここに来て覚悟を決めました。 そういえば、16日はメキシコの独立記念日です。町の中はその準備で随分華やいだ雰囲気です。 アメリカはもちろん、ヨーロッパなどの国々でも事件を考慮して色々な行事や催しを中止したりしているようですが、 ここメキシコでは例年どおりの独立記念日のお祭りが行われるようです。
お隣の国で大変なことになっていても、メキシコの人々にとっては独立記念日というのは何にもまして重要なセレモニーなのでしょう。 歴史的、文化的な違いだと思いますが、事件に対する受け止め方もさまざまだということを考えさせられました。  写真 ホテルセゴビア September 2001 撮影

☆独立記念日☆
 メキシコは1521年に、エルナン・コルテス率いるスペイン軍に征服されてから、 300年間近くスペインの植民地となり、その圧制に苦しめられてきました。 しかし、アメリカの独立とフランス革命から大きく影響を受け、 1808年のナポレオンのスペイン占領によりスペイン国王が王位を退いたときに反乱は始まりました。 そして、1810年、現代のドローレス・イダルゴの地で(グァナファとから約1時間の所にある町) ミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ神父の先導で蜂起が始まるのです。これより11年経った1812年に、 事実上スペインからの独立を勝ち取ることができました。 独立記念日は、このミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ神父が独立戦争の開始を叫んだことに起源します。
 独立記念の最大の行事は宮殿で行われます。 深夜11:00にメキシコ大統領は宮殿のバルコニーに立ち、ソカロ(広場)に集まる群集に向かって、 独立の「グリート」(蜂起の叫び)を上げ、記念日を祝して花火が上げられます。 翌16日は3時間にわたる壮大な軍事パレードが挙行され、市内の大通りには色鮮やかな電球が飾りつけられ、この祝日を盛大に祝います。

メキシコ大使館の資料より

CHOPOの店 September 2001 撮影 「CHOPOの若者達」

 翌15日は独立記念日の前夜祭にあたります。 町の中は色々な飾り付けがおこなわれています。お祭りは夜におこなわれるので、 昼間は気を取り直して、CHOPOという最近の若者たちのホットスポットに商品探しに出かけることにしました。
 メトロのBUENA VISTA駅で降りてARTESANIAS VUENA VISTAの前の通りになります。 なるほど、多くの10代の若者たちが駅の周辺に集まっています。 ある道路では、ギャラリーが腰を据えて、得意げにパフォーマンスを繰り広げるスケボー野郎を見守っています。 また、多くの若者が手に手にCDや、ギター、スケボー、スケボーのパーツを持って並んでいます。

写真 CHOPOの若者 Septeber 2001 撮影  彼らと交渉をして、値段が合えば商談成立です。まるで、インターネットのオークションみたいだと感じました。 世代的には10代前半から20代位で、非常に若い世代が集まっています。大阪のアメ村といったところでしょうか。 彼らのファッションは多くがハードロック、パンク、ボディーピアスを顔に刺しまくっている若者もいました。 露店で多く売られているものも、やはりハードロック系のCD、テープ、衣料、ボディーピアスなどです。 バラック立ての店舗が20件ぐらい入った建物が2棟ほどありますが、多くは露店の店なのです。

 ホテルへいったん戻る途中で、インターネットカフェに寄りニュースなどを見ていますと、この日からUAの運行が再開されたのこと。 たった一日の違いで・・・と思いましたがしかたありません。
右写真 CHOPOの店 September 2001 撮影/左写真 CHOPOの若者 September 2001 撮影

花火 September 2001 撮影 「前夜祭」

 VIVA MEXICO( ビバ・メヒコ)の喝采! とにかくえらい人波でした。 ここソカロではメキシコの独立を祝う人たちで埋め尽くされています。 顔をペンキでデコレートした人、国旗を持った人、ソンブレロをかぶって、民族衣装に身を包んだ人たち。身動きも取れない状態です。 みんな晴れやかな顔をして、これから始まるセレモニーを待っているのです。

 大統領が、バルコニーに姿をあらわし、メキシコ国旗を持って、 「メヒカノス、メヒコノス!」「ビバ・メヒコ、ビバ・メヒコ、ビバ・メヒコ!」と叫びますといっせいに盛大な歓声が沸き起こりました。 私の回りの人もみんな大声で叫んでいるので耳が痛くなるほどでした。 旗を振り、泡が吹き出すスプレーを撒き散らして、着飾った子供を掲げる人々。ものすごい騒ぎです。 みんなものすごい興奮状態です。

 やはり、メキシコの人たちの独立記念日に対する思いというのは私などのはるかに想像を越えるものがあると思います。 植民地からの開放というメキシコの人々にとって大切な意味を伝えつづけているのでしょう。

 そうこうしているうちに、花火が上がり始めました。 大統領は家族を伴ってバルコニーから花火を見ています。夫人と、3人の子息らしい男性と2人の令嬢を伴っていました。 花火は20-30分ぐらい続いたでしょうか。ほんとうにもみくちゃになりそうな状態でした。  写真 花火 September 2001 撮影

観客 September 2001 撮影 「パレード」

 16日は独立記念日当日です。この日はパレードがあります。 パレードを見るために10時ごろ独立記念塔のほうに歩いていきますと、周辺の道路は通行止めになっていました。 式典らしきものをしており、10時半ごろそれが終わるとバスに乗り込む大統領の姿も見えました。 どうやらソカロに向かったようでした。

 レフォルマ通りの沿道にはぼちぼち人が詰め掛けていました。まだそれほどの人出ではありませんでしたが、 パレードの始まる12時近くになってきますとかなりの人手になってきました。

 まず一番先にアステカ族の民族衣装をまとった一行が通過しましたが、後は軍事色一色の行進が続きます。 もっとお祭りのパレードのようなものを想像していましたので、少し驚きました。 しかし、独立記念日の意味を考えると、国の力を誇示し国民もそれを確かめている面があるのかとも思いました。

いろんな部隊によって衣装が少しずつ異なっていたりしましたが、持っている銃が少し旧式のように見受けられました。 兵隊の行進に続いては、運送用のトラック、戦車、キャノン砲等の車両がつづきます。 車両には0000001から順番に番号が振ってあり、全部で0000800ぐらいまであったでしょうか。 車両はほとんどがカーキ色で塗装したてのようにきれいでした。
 アメリカで起こった事件について考えてみたりしますと、 このような銃剣つきのいわゆる鉄砲などは軍事力の誇示という面から考えますと、少し疑問も。 パレード自体はセレモニーなのですが、時代の最先端のミサイルのような兵器のパレードはありませんでした。 最後はランチェーラの馬に乗ったいわゆるメキシカン・カウボーイ、カウガールのおどけた行進で幕を閉めました。  写真 観客 September 2001 撮影

写真 パレード September 2001 撮影    写真 パレード September 2001 撮影   

写真 パレード September 2001 撮影    写真 パレード September 2001 撮影   
写真 パレードの様子 September 2001 撮影
「帰国」

 残りの3日間、色々なEXPORT companyと連絡をとって、アポが取れれば事務所を訪ねて話を聞いたりしました。 その間何とか一日でも早く帰国できないかと、フライトの変更を試みたりもしましたが、やはり20日より前はとれませんでした。 商品を探しに町を歩いたりもしましたが、やはり気分的に落ち着かず仕事にはなりませんでした。 20日に無事に飛行機が飛んでくれたときには本当にほっとしました。

毎回といっていいほど、色々なトラブルはつきものですが、今回ほど無事に帰国できたことがありがたかったことはありませんでした。


Oct 1th, 2001 Writing by Shuichi Miyoshi, Edit by TJJ

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