「テンプロ・マヨール」
ソカロのカテドラルの裏側に、大きなアステカ時代の遺跡があります。「Templo Mayor(テンプロ・マヨール)」、大きな(偉大な)寺院という意味だそうです。
国立宮殿を見終わって、まだ少し時間もあったので、そのまま見ていくことにしました。
遺跡の周りには簡単な、外からも遺跡の様子がうかがえました。入り口の所で入場料を払い中へ入りました。買い求めた商品を持っていたのですが、
手荷物預かり所もありましたので、そこへ商品などもすべて預けて、身軽で回っていくことにしました。遺跡には見学用の通路が渡されていて、順番に見学するようになっていました。
テンプロ・マヨールは、1978年の水道工事中に、8tもある石碑を出土したことから本格的な調査が始まりました。この石碑は、アステカ神話の中でも重要な位置をしめる、月の神「コヨルシャウキ」
のものでした。この調査から、遺跡はアステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿であることがわかりました。このテンプロ・マヨールには78ほどの建物が建てられていた事が調査でわかっているそうです。
今現在、カテドラルや国立宮殿などが建っている場所の地下にも遺跡が埋没しているそうです。
テンプロ・マヨールは、アステカ族の持っていた宇宙観の基礎の中心にありました。そしてその場所は宇宙の水平面が出会い、交わる場所であったそうです。水平面とは、天空の水平面、地下部分の水平面、人がすんでいる地面の水平面であるそうです。
テンプロ・マヨールは、宇宙の4つの方向に分けられています。宇宙には4つのドアがあり、それぞれの基本方向を方向付けているそうです。そして、この場所ではアステカの中心的儀式である、人身犠牲がおこなわれていたそうです。
アステカ族にとって、人身犠牲は大変な重要性をもっていました。いけにえは生が死に続くための方法であったからです。これは1年を通して食物が枯れてしまう乾期と、雨が大地の果実をよみがえらせる生の時期が、絶え間ないサイクルとして存在する自然界に起こっているのと同じだという考え方です。
人身犠牲を通じて、もっとも価値があるとみなされた血と命そのものが捧げることにより、死を通じて生を生じさせる手段だったそうです。
見学用のつり橋のような通路を歩いていきましたが、平日のせいか隣の国立宮殿に比べて見学する人の数も少なく、ゆっくりとみて回ることができました。
要所要所で英語の説明がされていましたが、それを一生懸命書き写している学生らしき人もいました。このテンプロ・マヨールは征服した部族が前の部族の建物跡にかぶせるように建物を建てていったらしく、建物が何層にもなってできているということでした。
途中、大きな羽の生えた蛇や、実際に人身犠牲が行われていたというチャック・モールの石像、カエルの祭壇、など神話の世界さながらの石像群が次々と現れてきました。
また、一面ドクロの彫刻が施された祭壇などもあり、見た瞬間少しびっくりさせられました。
テンプロ・マヨールからは多種多様な供物が発掘されましたが、それらは遺跡横に建てられた博物館に展示されていました。
国立人類学博物館もそうでしたが、建物はとてもおしゃれな雰囲気で、入ってすぐのフロアーにテンプロ・マヨールを中心とするテノチティトランの神殿コンプレックスの模型が展示されていて、当時の姿が思い浮かぶようでした。
建物は8つの展示室に分かれていて、それぞれがテーマを持っていて、アステカ人のテンプロ・マヨ-ルの構造がわかりやすいように、象徴的に再現されています。そのため、2つの神殿を持つ本物の大神殿と位置が同じになるよう、
博物館の北側の展示室には太陽と深い関係のある戦の神ウィツィロポチトリがまつられており、南側には雨の神 トラロックがひかえていました。この中でも神話の世界、そしてアステカの時代に思いをはせていきました。
左写真 テンプロ・マヨール January 2005 撮影
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