旅行記 メキシコ編 その3

 今回の旅は、帰国途中でアメリカで事件が起こり、メキシコへ引き返し、その後9日間引き続きメキシコでの生活を余儀なくされましたが、 ともかく無事に帰国してご報告することが出来て幸いです。
 事件に関係して亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
メキシコシティ 独立記念塔 September 2001 撮影 「サンフランシスコでの乗り換え」

 メキシコへ行く時は朝は店に出て、お昼過ぎに出発するというパターンです。今回も2:30頃に店を出てタクシーを拾いました。 ところがその日に限って道路がすごい渋滞で空港についたのが4:00を回ってしまいました。

 今回はじめてインターネットで航空券を購入しましたのが、 実はサンフランシスコでの乗り継ぎ時間が30分というきわどいタイミングなのです。 さてチェックインをするためカウンターへ行きチケットを出してチラッと見ると、 なんとサンフランシスコへの到着時間が12:00になっていることに気が付いたのです。 これは大変です。サンフランシスコでの乗り継ぎ時間が全然ありません。

 もうこれはサンフランシスコで一泊するしかないと思って覚悟を決めたのですが、 カウンターの係員がサンフランシスコの到着時間は11:25なので一応メキシコへの乗り継ぎ便の搭乗券を発券してくれて、 尚且つ翌日9月4日の乗り換え便も抑えてくれました。 荷物が延着した場合のことも考えてくれて荷物のタグもプリントしてくれて、いろんなコメントも私の記録に書き込んでくれました。 あとはいくらかでも早くサンフランシスコに到着するように祈るだけです。
 今までも何度も乗り換え便に間に合わせるために、あの広いサンフランシスコ空港を走りましたが今回は不安でした。 もしかしたら、このようなことも今後のトラブルを予感させていたのかもしれません。
機内案内でも11:25にサンフランシスコ着といっていましたが、実際に到着したのは11:40分でした。

 こうなったら、サンフランシスコで一泊するしかない、どのホテルにしようか、 などと考えながら機内を出ると、係員が「ミスターミヨシ!!!ミスターミヨシ!!!」と叫んでいました。 名乗りをあげるとついてくるようにいわれました。 すでに搭乗が始まっていましたし、せっかく確保していたシートを別のシートに変更されてしまいましたが、 ここまでくればもう後は大丈夫です。 なるほど12:00に出発できました。

 あとは関空で預けたスーツケースが無事にトランジットできたかどうかだけです。 去年はやはりメキシコで荷物が遅れてホテルに配達されてきましたし、 おととしはマイアミで1日遅れで空港で受け取リましたが、まあ今回はシティーに連泊するので大きな問題ではないのですが。

 それにしてもあれだけの短い乗り継ぎ時間なのにこうして無事に着いたのは、 本当にあの関空でのカウンターのUA(ユナイッテッド航空)の空港職員の機転とその有効な手配の賜物であることに感謝しました。
メキシコシティーの空港のBAGAGE CLAIM(手荷物受取所)では待たされましたが、無事にスーツケースも出てきました。 今回のホテルはソナロッサの隣の「HOTEL SEGOVIA REGENCY」というところです。
写真 メキシコシティ 独立記念塔 September 2001 撮影

コーヒーハウス September 2001 撮影 「コヨアカン」

 次の日(5日)は、朝からシッパーのところでオーダーの仕上がり具合を丹念にチェックします。 きちんと見ていないと入荷した時にびっくりする時があるからです。 チェックを済まし、少し遅くなりましたがコヨアカンへ商品を探しに出かけました。

 ここにはメキシコの有名な画家のフリーダ・カーロ(Frida Kahlo 1907-1954)*1の博物館があります。 博物館には、数多くの自画像や晩年の闘病生活を忍ばせる遺品の数々が展示されています。 博物館自体は彼女の自宅を改装したような建物だったように思います。 ポスターやポストカードなどでもよく見かける彼女の自画像を見るたびに彼女の情熱的な人生を感じるのです。

 コヨアカンの市は土曜日なので、やはり今日(火曜日)は出店などはまったくありませんでした。 残念でしたが、古くからある有名なコーヒーハウスに立ち寄って一息入れて早々にホテルに戻りました。
写真 コーヒーハウス September 2001 撮影

*1  Search the Artcyclopedia Database
http://www.artcyclopedia.com/artists/kahlo_frida.html

ホテル サンタ・プリスカ September 2001 撮影 「タスコ」

 翌日(6日)はタスコ行きです。 いつもはシッパーのMR. GONZALEZの運転で車で行くのですが、今回はバスを使ってみることにしました。 地下鉄のPINO SUAREZ駅のTAXQUENA方面ゆきのプラットホーム中央で朝8時30分にMR. GONZALEZと待ち合わせをしていたのですが、 9時になっても姿を見せません。 仕方なく一人でタスコに行くことにしました。 以前にも待ち合わせ時刻に来なかったことがここ数年で2度もあったので、 今回も何か事故に巻き込まれたのかと気にはなりましたが、滞在日数が限られているため1日も無駄にはできません。 タスコ行きのバスは地下鉄駅タスクケーニャから出ています。 タスクケーニャ駅は南方面の地下鉄終着駅ということもあって大きなバスターミナルになっています。

 タスコ行き10時2分発ノンストップエアコンバスのチケットを86ペソで買いました。 座席指定なのであいている座席表を見せてくれて、どこがいいかと聞かれたので11番を指定しました。 待合室に入るにはやはり手荷物チェックがあって、警戒が厳しそうです。
 数年前確かオアハカ行きの長距離バスが山賊に襲われて、日本人の一人旅の女の子が射殺されたことがありました。 お金や貴重品を出すように要求されたのを理解できず戸惑っていたために殺されてしまったたらしいのです。
金目のものを差し出しさえすれば助かっていたかもしれませんが、咄嗟の判断での機転は旅慣れていても、 なかなか利くものではありません。治安の悪さの一面がうかがえる話です。 バスに乗り込む際にも金属探知機でチェックされました。 10時12分にターミナルを出発して、市街地を約10分程度で抜けるとすぐ有料のハイウェーに入ります。 乗客は約10人程でがらがらでした。 職員が缶入りジュースとスナック一袋、それにナプキンの入ったビニール袋を配ってくれたので、なんとサービスのいいことかと感心しました。 3時間弱でタスコに到着です。

 タスコの町もすごい坂ですが、中に入ってからはタクシーやミニバスを利用してメーカーを回りました。 インディアン柄の商品や石のついたアクセサリーを中心に仕入れをしました。 一軒の仕入先にいるところへ、MR. GONZALEZから「ケ・パソ」と電話が入り、 今メキシコは治安が悪いので大変心配したといってくれましたがなぜ行き違ったのか疑問は解けませんでした。 その日一日かけてシルバーを仕入れ、サンタ・プリスカという格安クラスのホテルに宿を取りました。

 翌日の朝も街中を歩き回ってみましたが、 開店時間がほとんど10時なのでたいした収穫もなく次の予定も控えているので11時のバスに乗ってシティーへ早めに帰ることにしました。 帰路の乗客は20人ぐらいでしたが週末を控えて少しざわついているように思えました。 MR. GONZALEZに電話を入れると彼も安心したようすでした。
写真 ホテル サンタ・プリスカ September 2001 撮影

バザールデサバド September 2001 撮影 「バザールデサバド」

 翌日(8日)は土曜日なので、サンアンヘルのバザールデサバドに出かけました。 メトロLINE7のBARRANCA DEL MUERUTOからミニバスを乗り継いで行きます。
 ここは高級住宅地帯の中にあるので、多くの画家たちが作品を持ち寄って談笑しているさまは、 一種自由な芸術をかもし出しているようで、こういう雰囲気から文化が創造されていくのだろうと思いました。
 ゆるい坂をあがるとショップの入った建物と露天の集まった一角があります。 ここの商品の価格はこのあたりが高級住宅地ということもあって、少し高いめになっているようですが、 ここでしか見つけられないものもありますので、出張のスケジュールには必ず入れるようにしています。 午後はLA VILLA(グアダルーペ寺院)のあたりを回りました。
写真 バザールデサバド September 2001 撮影

アニマルショップ September 2001 撮影 「ラグニージャ」

 次の日(9日)は日曜日でラグニージャの日曜市があります。 メトロLINE8のGARIBALDIで地上に出るともう多くの店が軒を並べていました。
 2ブロックほど西に歩いてゆくと北の方向にぎっしりと店の詰まった通りがあります。 ひとつの通りに4列の通路ができて5列に一店舗3メートル平方ほどの店が並んでいます。 ほとんどは衣料品の店で、Tシャツ、Gパン、化粧品、雑貨、CD、アニマルショップもあります。
特に目立ったのは、ボディーピアス、コピーCDなどでした。 別名泥棒市などというありがたくない名前で呼ばれていて、 どこから持ってきたのかたんすの奥に眠っていたようなガラクタを持ち寄って並べている通りもあるようです。
 最後の日は終日買った商品の荷造りに明け暮れました。 今回も駆け足のスケジュールでしたがやっと明日は日本に帰れます。  写真 アニマルショップ September 2001 撮影

「そして帰国のはずが・・・」

 今日は9月11日、いよいよ日本に帰国する日です。 タクシーとのトラブルもなく、2カートンの大きな箱も無事チェックインして飛行機に乗り込みました。 離陸して30分程で朝食が出てきたのでそれを済ませてくつろいでいると、 通常のアナウンスと違う言葉が連なって、放送されてきました。 どうやらあと1時間程でメキシコシティーに引き返すということらしいのです。 この放送はAM9:10くらいだったと思います。

 まわりを見渡すと、いっせいに電話をかけて何かを確認しているようでした。 聞き耳を立てていますと、テロリスト、自殺者、2人のアメリカ人女性、ブッシュ、地下鉄などという断片的な言葉が入ってきます。 なにやら大変なことがアメリカで起こって、空港が閉鎖されているようだということがわかりました。 これからどうなるのだろうと不安になりました。

次回へ続く。

Oct 1th, 2001 Writing by Shuichi Miyoshi, Edit by TJJ

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