「メキシコ独立記念日」
September 2005
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9月16日はメキシコの独立記念日にあたります。大阪の「フィエスタ・メヒカナ」もメキシコの独立記念日に日程を調整して始まったとうかがっています。今回はその独立記念日を取り上げてみました。
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「独立記念日の歴史」
1521年、エルナン・コルテス率いるスペイン人たちの侵略により、当時メキシコシティを中心に王国を築き上げていたアステカ文明は滅ぼされました。
その後、スペイン人はこのメキシコ(当時はヌエバ・エスパーニャと呼ばれていました。)を植民地政策の拠点とし、更なる植民地と奴隷確保のために南下し、侵略を進めていきました。
略奪と支配を繰り返して徹底した植民地政策をおこなった結果、広大な植民地と財を築き、当時のスペインを「ヨーロッパの星」と呼ばれるまでに潤したといわれています。
その後、メキシコが独立するまで300年にわたって植民地支配が続きますが、次第にスペイン本国の人たちとメキシコ生まれのスペイン人たちの間に富や権力の格差が生じました。
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その結果、メキシコ生まれのスペイン人たちが不満を持ち始めました。
そこで、絶対数では少ないメキシコ生まれのスペイン人たちは、当時一番人口の多かったメスティーソと呼ばれる混血の人たちを扇動して、独立の準備をはじめました。
その大きなきっかけとなったのは、1810年、現代のドローレス・イダルゴの地で(グァナファとから約1時間の所にある町) ミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ神父でした。
イダルゴ神父は荘園主に搾取されていた農民たちに武器を与えて、各地で一揆的な暴動をおこないました。やがて、イダルゴ神父は当時のヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコシティ)のソカロに到着し、
宮殿にある鐘を打ち鳴らして独立宣言をおこないました。その時刻が9月15日の夜11時ころだったといわれています。イダルゴ神父は「独立の父」と呼ばれています。
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「独立記念日の催し」
独立記念日はメキシコの各地でおこなわれます。大小さまざまですが、首都メキシコシティでは2週間ほど前からレフォルマ通りなどメインストリートやソカロの広場周辺が多くのイルミネーションで飾られます。
そして、ソカロの広場では屋台なども設置されお祭り気分が満ちています。記念日用のグッズなども多数見かけられます。
9月15日は、多くの会社などは午後がお休みとなり、交通機関も通常のようには運行されなくなります。
メキシコ中のソカロの広場ではたくさんの人たちが集まり、そこで一斉に「グリト(雄たけび)」をおこなうのです。
メキシコシティでは、歴代の大統領がソカロの広場にある国立宮殿の鐘を15日の夜の11時に打ち鳴らし、「VIVA MEXICO(メキシコ万歳)」、「VIVA LA LIBERTAD(自由万歳)」と叫び
ソカロに集まった国民とともに独立記念日を祝います。
グリトが終わると花火が打ちあがり、ソカロの広場ではマリアッチのコンサートなどのイベントがおこなわれます。が、夜通しというのではなく、12時頃には解散となります。
その後は自宅で家族や友人などとお祝いをするのだそうです。
16日は、午前中にソカロの広場とレフォルマ通りを中心に大きな軍事パレードがおこなわれます。
メキシコも戦争放棄を憲法でうたっており、所持している武器も戦闘機なども決して最新式のものではないそうですが、それを国民に見せるのは、
「我々は戦争をしない!しかし、ひとたび侵略がおこなわれれば、国を守るため戦う準備がある!」という意思を表しているのだともいわれています。
軍隊も通常の軍事行進とは異なり、独立戦争時代の兵士が身につけていた軍服や革命戦争時の軍服に身を包んだ兵士が現れたり、時代や地方、民族によってそれぞれ異なった服装で現れます。
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