「Emiliano Zapata(サパタ)」
October 2005
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11月20日はメキシコの革命記念日です。革命といえば、今なおメキシコの英雄としてその名を残している「Emiliano Zapata(サパタ)」ですが、今回は彼をご紹介します。
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「革命の歴史」
サパタは、モレロス州アネンクイルコ(Anencuilco)と呼ばれる小さな村で生まれました。
両親はメスティソと呼ばれるインディオと白人の混血でしたが、一家は農業労働や家畜を飼うことによってスペイン植民地時代の開発地域で小作農として生活をしていました。
この時代は、軍人であったディアスが大統領となり独裁体制をしいていた時代でした。彼の独裁は1877年から30年以上におよび、表面上は政治的安定と鉱物資源など第1次産品の輸出を
原動力とする経済発展が進んでいましたが、輸出用作物を生産する大農園主に農地が独占され、農村には土地を所有できない貧しい農民があふれていました。
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また、外国資本による経済支配もひどく、石油や鉱物などの資源の大半を所有し、鉄道さえ外国資本の経営でした。こうした富の格差をはじめとする社会矛盾を背景とする
農民や都市労働者層の改革要求は、無視されるか暴力で押さえ込まれていました。この少数の特権階級による政治の独占は民衆の不満を増大し体制の崩壊へと進んでいきます。
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「サパタの運動」
1910〜20年、ディアスの独裁体制打倒をめざす蜂起をきっかけにおきた民族主義的なメキシコ革命は、20世紀前半に世界各国で発生した多くの社会革命の中でも、もっとも早くおきた、またもっとも大規模なものでした。
サパタは1910年5月、糖業大農園(アシエンダ)の拡大で苦しむモレロス州の先住民や大農園労働者からなる武装組織を作り、「土地と自由」をかかげて蜂起しました。
ディアスに対する革命を開始したマデロに共鳴して1911年に革命に参加しました。同年、勝利をおさめたマデロが大統領に就任しましたが、彼の政策に失望したサパタは、「アヤラ計画」と呼ばれる独自の農地改革案を公表しました。
この計画は、先祖伝来の土地を奪われた先住民への農地再分配を要求したものでした。
サパタはその後も、1913年のクーデターによって成立したウエルタ政権や、その後のカランサ政権と続いていく中も政府への抵抗を続けました。
先住民たちの支持を受けて南部で勢力が拡大していき、1914年には北部出身の革命軍の将軍であったビリャとともにメキシコシティを占拠するまでになりましたが、翌1915年には撤退を余儀なくされました。
そして、1919年、カランサの送り込んだ刺客に暗殺されたとされています。
サパタは政敵からは山賊あつかいをされていましたが、先住民たちからは真の革命的社会改革者、そして英雄として偶像視されて、その生涯は無数の伝説を生み出して今日に伝えられています。
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