「刺繍ブラウス」 July 2003


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刺繍ブラウス・刺繍ワンピース

 今回は、刺繍がとてもカラフルで可愛いと評判のメキシコのブラウスのご紹介です。
メキシカン衣装 「移り変わり」
 メキシコがスペインに征服される以前は、今でいうインディオたちがそれぞれの部族に伝わる織物を身に付けていました。 現在でも、オアハカなどでは昔ながらの伝統を守って、とても複雑で手の込んだ模様を織り込んだ衣装が作られています。 そして、何かのお祭りなどの行事があるときには、古来からの衣装を身にまとっています。

 それが、スペインの征服により、メキシコ以外の色々な国の人々がメキシコへ移り住むにしたがって、伝統的な衣装から、 ブラウスに長いギャザースカート、サッシュ(帯)にレボッソ(ショール)というスタイルが流行していき、現代にも受け継がれているのです。  
「チチ・ポブラナ 伝説」
 17世紀の終わり頃、中国ともインドとも言われていますが、貴族の娘が中国の船に乗せられて、はるばるとメキシコのアカプルコへ売られてきました。 娘は、プエブラという町に住む金持ちのスペイン人に買われていきましたが、やがて奴隷の身分を解かれ、召使として働くようになりました。 その娘が考案した衣装が、後のメスティーソ(スペイン人とインディオの混血)の衣装の原型になったといわれています。 「チチ・ポブラナ」というのは、「プエブラの中国娘」といった意味だそうです。

 スペインは1519年のメキシコ侵略後、フィリピンも征服し、アジアー新大陸ースペインという海の貿易ルートを確立しました。 そして、メキシコ北部で銀が発見されるや、メキシコのスペイン人の力を大変なものでした。
 その頃になると、かなりの数のメスティーソが生まれていましたし、アフリカからも奴隷として連れてこられた黒人とインディオの間にムラトとよばれる混血が生まれていましたし、 東洋からも奴隷が連れて来られていたようですので、新しいメキシコ人がどんどん増えていきました。
 しかし、政府は、インディオ以外のものがインディオの衣装を着ることを禁じていたのです。かといって、新しいメキシコ人たちはスペイン人が本国から取り寄せるような 高価なレースや絹の服はとても手が出ません。
 そこで、かれらは、インディオの衣装とスペインの衣装を混合した、自分たちのオリジナルの衣装を考案したと考えられます。 そして、その衣装の中の大事な要素の一つがブラウスなのだそうです。

 もともとは、布地自体も手織りされていたようですが、形自体は複雑ではなく、無理も無駄もない直線断ちで作られました。 安価に手に入れられるように、つくりもごくシンプルに縫製されたと思われます。 そして、新しいメキシコ人の衣装であったブラウスが、やがてインディオにも広がり、大量生産されるようになり、今日の形になっていったようです。

引用文献 「染織の美 22」京都書院刊

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