「Sol(太陽)」 Junuary, 2002

 2002年新しい年の最初の商品は、メキシコといえば誰でもが思い浮かべるイメージ「太陽」をご紹介いたします。 太陽がモチーフの商品はメキシコのいたるところで見受けられます。壁掛け、キャンドルスタンド、アクセサリー等たくさんあります。
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素焼き太陽  地球上のどの国でも、どの文明でも太陽には特別の地位が与えられています。 太陽は人間に恵みを与え、あらゆるエネルギー、あらゆる生命の源となっています。 地球上のありとあらゆるところで太陽はたたえられ、神のように崇拝されています。
 中でも、アステカ人は太陽信仰をもっとも完成した形にした民族の一つといえます。
 メキシコでは古くから太陽信仰がありました。 第一回目の商品ご紹介の「アステカの暦石」では、今ある世界よりも前に4つの世界(あるいは4つの太陽)の存在をご紹介しました。 これはアステカの神話ですが、では、第5番目の太陽(今、私たちが目にしている太陽)はどんな風にして生まれたのでしょうか。
 第4の太陽が洪水で失われた後、光の神であるケツァルコアトル(羽のある蛇)と、 闇の神で煙を吐く鏡テスカトリポカという相反する性格の2人の神が力を合わせてまず大地を造ったとされています。
大地ができたあと、ケツァルコアトルは犬の神ショロトルと地底世界へ行き、第4の世界で洪水で死んだ人々の骨を取り返して、 トウモロコシのように砕いて粉々し、それに神々の血を混ぜて現在の人間の姿を作りました。
 人間の創造が終わると、神々は暗闇の中でテオティワカンに集まり、 第5の太陽(ナウイ・オリン)を創り出すことにしたのです。このときにはまだ世界は真っ暗な暗黒の世界でした。 そのためには神々のうち一人が巨大な火葬用の焚き火に身を投じなければならないと決まり、 まず放漫なテスシクテカトルが志願し、そのあと病弱で地位も低いナナワツィンが周囲に進められ遠慮勝ちに出てきました。
 準備段階として、2人の神は4日間断食をし、苦行をおこないました。
いよいよ焚き火に飛び込む段になって、テクシステカトルは炎を前に4度火に向かって走り、 そのたびに引き返しました。ナナワツィンはためらうこともなく勇敢に火の中に飛び込みました。 それをみてテクシステカトルも後に続きます。
 ナナワツィンのほうは太陽となって昇りました。 テクシステカトルも同じ輝きを帯びてでてきましたが、 神の一人がテクシステカトルの顔にウサギを投げて光輝を弱めたため、光の弱い天体である月になりました。
 その後、その太陽や月をコントロールするために残りの神々も次々自らを生贄として捧げ、 彼らの亡骸から神聖な包み「トラキミロリ」がつくられました。
(古代メソアメリカの人々はこの「血の負債」 つまり、人間は血と肉を永遠に神々に請け負っているいるという考え方を持っていたと考えられ、 それが「太陽に滋養を与えるための人身供犠」につながっていきます。)


 これらのことからも、アステカの人々にとって夜明けというのは単なる一日の始まりではなかったのです。 それは死に満たされた「地底世界」の辛苦の深淵を通り抜けた「太陽」の再生であったわけです。 太陽は西に沈んだ後、真夜中に地底世界の底まで行き、そこから再び上昇して東から昇ると信じられていました。
 そして、地底世界を通り抜けてきた太陽は、空へ昇るという骨の折れる道行きのために、 人間の血と心臓という形での滋養を必要とすると考えられていたのです。 毎日毎日太陽がまた昇るかどうかとても心配だったのでしょう。
一説にはアステカ人の戦争形態とは私たちが考える決定的な勝利を収めるためのものではなく、 生け贄用の捕虜を得るためのものだったようです。
 日本でも古事記や日本書紀で、太陽に関する伝説が書き残されていますが、いかがでしたでしょうか?

引用文献 「マヤ・アステカ神話宗教辞典」 東洋書林刊
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